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京橋駅空襲被災者慰霊祭 「防空壕から出たあの光景は忘れられない」

京橋駅南口に特設された祭壇と妙見閣寺代表の小土井祥博さん

京橋駅南口に特設された祭壇と妙見閣寺代表の小土井祥博さん

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 終戦から78年。JR京橋駅(大阪市城東区新喜多1)で8月14日、「第69回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われ、約150人が参列し手を合わせた。

京橋駅空襲を経験された安本恒次良さん(93)

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 1945年(昭和20)8月14日12時30分頃、大阪城内の陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)を狙った爆撃の、流れ弾の1トン爆弾4発が、京橋駅に落ちた。そのうち1発が、現在の環状線ホームを突き抜け、片町線ホームに直撃し多数の避難した乗客が犠牲になった。一瞬のうちに焦土と化し、断末魔の叫びが飛び交う生き地獄そのものとなった京橋駅付近からは判明しているだけで210名。遺体も遺品も発見できなかった犠牲者は600名ともいわれる。この空襲の翌日、日本は終戦を迎えた。

 慰霊祭は午前11時から、JR京橋駅の生田亮駅長の「この決して忘れてはならない悲惨な出来事を次世代に語り継ぐ責任がある。現在104名いる駅員の半数が平成生まれと世代交代が進んでいるため、社員にも触れさせ全員で語り継いでいかないといけない」という言葉から始まった。

 地元・鴫野から毎年参加するという安本恒次良さん(93)は、当時、中学3年生で疎開先の京都・福知山から、鴫野の実家にいる父に会うため電車に乗っていた。京橋駅に着いたとたんに空襲警報のサイレンが鳴り、駅の防空壕へと逃げ込むと、子どもの鳴き声が響く中、爆弾が落ちる地響きの様な音を聞き、身を縮めていたという。

 防空壕から出ると、世界が変わっていた。「あんな光景は無いよ、生きているのか死んでいるのか分からないような人がたくさんいて、そこら中から助けを呼ぶ声が聞こえた。一人助けることができたけれど、皆を助けることは出来ず、あの光景は忘れられない。本当に怖かったよ」と涙をぬぐった。「戦後は、芋のツルと野草だけが精一杯の食べ物だった。今生きている事に誇りを感じる。100歳までは生きたい」と言い残しその場を後にした。

 慰霊祭は来年も8月14日11時に京橋駅南口で行われる予定。

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