終戦から今年で79年。JR京橋駅(大阪市城東区新喜多1)で8月14日、「第70回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われ、約200人が参列し手を合わせた。
今年も午前11時に始まった慰霊祭。今回は大阪市立旭東(きょくとう)中学校の生徒3人による作文の朗読が行われた。3年生の妻鹿(めが)珠季さんは「いつも使用している京橋駅が空爆被害にあったなんて全く知らなかったし、想像がつかなかった」と自身の作文を読み上げた。
1945年(昭和20)8月14日12時30分頃、大阪城内の陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)を狙った爆撃の、流れ弾の1トン爆弾4発が、京橋駅に落ちた。そのうち1発が、現在の環状線ホームを突き抜け、片町線ホームに直撃し多数の乗客が犠牲になった。京橋駅付近で判明しているだけで210名。遺体も遺品も発見できなかった犠牲者は600名ともいわれる。この空襲の翌日、日本は終戦を迎えた。
毎年慰霊祭に参加しているという山本マスエさん(100)は、当時21歳で蒲生四丁目の郵便局に勤めていて、爆撃の音が聞こえて京橋駅向かったという。「京橋駅は言葉ではとても言い表せない悲惨な状態だった」と振り返る。「今後戦争は絶対に起きてはならないこと、この出来事を戦争を知らない世代に伝えていかなければならない」とも。
京橋駅からほど近い新喜多ニ丁目に実家があり、10年前から慰霊祭に参加しているという東野利明さん(74)は「体験者の話や本で空襲のことを学んだ。幸い直接的な被害は受けなかったが決して他人事ではない。自分の地域に目を向けることをこれからも続けていきたい」と言葉をかみしめた。
朗読した妻鹿さんは「慰霊祭に参加してとても緊張したが、作文を読み終わった後に参列者の方から褒めて頂き、とても良い経験になった。亡くなった人の分まで命を大切にして生きていきたい」と話した。
慰霊祭は来年も8月14日11時に京橋駅南口で行われる予定。