JR京橋駅南口で8月14日、第58回京橋駅空襲被災者慰霊祭が行われた。
終戦の前日に起きた大阪空襲は京橋駅を直撃し、その犠牲者は500人とも600人とも言われ実態はつかめていない。その被災者を慰めようと昭和30年から行っている同慰霊祭。午前11時、260人の一般参列者が集まる中JR京橋駅・柳生頼成駅長らのあいさつで始まった。柳生駅長は「この悲惨な戦争を語り継ぐことがなかなかできていない。今の平和は空襲で亡くなられた方がいらっしゃるからこそあるもの。この平和を長く続けるのが私たちの使命」と話した。
1945年8月14日12時30分頃、空襲警報が鳴り響く中、京橋駅にいた大勢の人々は環状線の高架下にある片町線(現東西線)のホームに逃げ込んでいた。そこへ環状線の天王寺行きと大阪行き電車が同時に京橋駅に侵入したその瞬間、1トン爆弾が駅のホームを直撃した。京橋駅は一瞬で焦土と化し、瓦礫(がれき)の山に埋まる死体、飛び散る手足や肉片、人々の叫びが飛び交う生き地獄となったという。
この空襲で父親を亡くした女性は「毎年このような慰霊祭を開いてもらって感謝しています。これからも来れる限り毎年参列します」と真剣な面持ちで話した。京橋に住む女性は「被災者のかたを弔いたくて昨年から参列している。この平和がずっと続いてほしい」と空襲の被災者に思いを寄せた。
昨年同様慰霊祭の祭壇には地元・聖賢小学校の児童たちによる千羽鶴も供えられた。代表であいさつした小学6年生の児童3人は「私たちは今まで戦争について調べたり当時の写真を見たりお話を聞いたりしてきました。そして戦争は悲惨で悲しいものだと知りました。戦争をしていいことは何もない。世界中から戦争がなくなることを願い二度と戦争を起こさないことを誓います」と力強い声で話した。