JR京橋駅南口で8月14日、京橋駅空襲被災者慰霊祭が行われ、当時を知る人など多くの参列者が慰霊碑の前で手を合わせた。
1945(昭和20)年8月14日12時30分ごろ、空襲警報が鳴り響くJR京橋駅のホーム。駅に居合わせた多くの乗客が現東西線である片町線のホームに避難していた。ちょうど環状線の上り・下り2本の列車が京橋駅に入線した瞬間に1トン爆弾が落下し、列車とホームに避難していた乗客らに直撃した。この空襲で身元が判明している人だけで210人以上、ほかに500人~600人以上の身元不明の犠牲者が出たとされている。当時小学生で生駒に住んでいたという梅原恭仁子さん(79)は「焼き焦げた紙や板などが山を越えて飛んで来て危機感が拡がった」と話す。
同式典は今年で60回目。世話人会事務局を担うのは妙見閣寺(大阪市旭区)。冒頭あいさつで竹内日祥住職(66)は「きっかけは60年前、当時の京橋駅長から『深夜に幽霊が出て困っているので犠牲者の霊を鎮魂してほしい』という申し入れがあったこと」と振り返った。当時、妙見閣寺は京橋駅からすぐ近くにあり先代の住職が供養を行ったところ、二度と霊が現れることはなくなったという。それ以来、寺も移転し住職が代替わりした現在もなお、毎年慰霊祭を取り仕切っている。
60年前は10人ほどだった参列者も年を経るにつれ増え、この日は約250人が特設の祭壇に手を合わせた。祭壇には例年通り、地元・聖賢小学校の児童たちによって折られた千羽鶴も供えられた。児童代表として6年生の平尾彩華さん、岸田陽菜さんは「戦争は絶対に起こしてはいけないと思った。思いやりの輪を広げるため、身近にいる友達と仲良くすることから始めたい」と作文を読んだ。その後被爆体験者の話や爆弾投下直後の惨状を交えた読経を聴いた二人は「慰霊祭に参加して戦争の悲惨さを改めて感じた。学校で習ったことよりもずっと大変だったと思った」と話した。