
終戦から80年。JR京橋駅(大阪市城東区新喜多1)で8月14日、「第71回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われ、約200人が参列し手を合わせた。
1945年(昭和20)8月14日12時30分頃、大阪城内の陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)を狙った爆撃の、流れ弾の1トン爆弾4発が、京橋駅に落ちた。そのうち1発が、現在の環状線ホームを突き抜け、片町線ホームに直撃し多数の避難した乗客が犠牲になった。一瞬のうちに焦土と化し、断末魔の叫びが飛び交う生き地獄そのものとなった京橋駅付近からは判明しているだけで210名。遺体も遺品も発見できなかった犠牲者は600名ともいわれる。この空襲の翌日、日本は終戦を迎えた。
慰霊祭は午前11時から行われた。大阪市立旭東中学校の生徒3名による作文朗読で、2年生の後藤彩香里さんは「平和への思いを後世に伝えたいと思った。今回朗読したことを今後に生かしていきたい」と話した。
箕面市から訪れた斉藤早百合さん(76)は「近くに住んでいる娘から聞いて今回初めて参加した。ずっと大阪に住んでいて、終戦から80年の節目に一度訪れないといけないと感じた。このような出来事を忘れてはいけない」と話した。
地元、城東区から参加した小倉千裕さん(32)は、祖母が空襲にあった一本前の列車に乗っていたという。「祖母は四条畷駅で京橋が空襲に合っていることを知った。その列車は満員だったが次にいつ来るか分からなかったため仕方なく乗ったと話していた。もし祖母が一本後の列車に乗っていたらと思うと恐ろしい」と語る。また「私くらいの年齢が戦争を体験した人の話を生で聞ける最後の世代。戦争は過ぎ去ったものではなく、今に繋がっている事として後世に語り継いでいきたい」と話した。
慰霊祭は来年も8月14日11時に京橋駅南口で行われる予定。