JR京橋駅で空襲被災者慰霊祭-終戦から65年「次世代に伝え続ける」

昭和30年から始まった京橋駅空襲被災者慰霊祭。今年で56回目を迎えた

昭和30年から始まった京橋駅空襲被災者慰霊祭。今年で56回目を迎えた

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JR京橋駅南口で14日、第56回京橋駅空襲被災者慰霊祭が行われ250人が参列した。終戦の1日前に起きた大阪空襲は京橋駅に直撃し、その犠牲者は500人とも600人とも言われている。

JR京橋駅南口高架下に特設された祭壇

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慰霊祭は午前11時、JR京橋駅・柳生頼成駅長の「戦争の悲惨さを戦争を知らない世代へ伝え、平和な世の中を築くことが私たちのつとめ」というあいさつから始まった。

続いて65年前の空襲時に京橋駅にいた同慰霊祭世話人会会長の京極俊明さん(79)が当時の体験を語った。
正午をまわった12時30分、空襲警報が鳴り響く京橋駅のホーム。人々は環状線の高架下にあたる片町線(現東西線)のホームに逃げ込もうと階段付近に殺到していた。その時14歳だった京極さんもその後に続こうとしたが、「ここにいないで離れろ」と数人の大人に促された。周りは地味な服装の人ばかり。カラフルな服を着ていた京極さんが動き回っていることで空襲の標的にされてしまう。それを避けるため、群衆から遠ざけられようとしたのだという。京極さんは薄情に感じながらも恐る恐る北口から駅の外に出た。その瞬間に数個の1トン爆弾が駅のホームを直撃したのだ。京橋駅は一瞬で焦土と化した。瓦礫(がれき)の山に埋まる死体、幼子を抱きかかえるようにして無言の死を遂げた母子、飛び散る手足や肉片、断末魔の叫びが飛び交う生き地獄となったという。
「もしもあの時、あの人たちが私を遠ざけなければ今の私は存在しない。以来、自分に降りかかる理不尽なことも前向きに受け止めるようになった」と、京極さんは言葉をかみしめるように語った。

祭壇には地元・聖賢小学校の児童たちが作った千羽鶴が備えられた。児童代表の6年生・井出本樹さん、辻弥侑さん、越智瑞希さんは、「千羽鶴を折っていて戦争の悲しさ恐ろしさを感じ戦争や平和について真剣に考えた。亡くなった尊い命のもとに今の幸せがあると感じている」と語った。

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