特集

「マイアミで活躍する日本人ラテンダンサー」-大阪・都島区育ちのダンサー・中井理絵さん

  • 3

  •  

-もともとダンスが好きだった?
SPEEDを好きになったのをきっかけに、小学6年生の時にダンス部に入りました。中学・高校の創作ダンス部を経て、現在に至るまで踊り続けています。本格的にダンスを始めたのは、高校1年の時。学校以外でもダンスを習いたい!との思いで、自分でダンススタジオを探し通い始めました。そこからダンス漬けの毎日が始まり、都島にあるベルファというショッピングセンターのところでも、よく一人で練習をしていました。へこんでいる時でも踊ればすぐ忘れるし、音楽聴いて自由に踊っている時が一番幸せです。

-プロのサルサチームにも所属していた理絵さん。サルサダンスの魅力は?
ラテンの人たちは音楽がなると、自然に身体を動かして陽気に踊りだします。そんなラテンダンス、サルサに出会った瞬間から虜になりました。ラテン人はダンサーでなくても音楽があるところではどこでも陽気に踊っています。そんなサルサを日本のストリートダンスの中にもっと浸透させていきたいですね。

-日本でのサルサの活動について教えてください
 渡米前、ゴールドジムやアメリカ村にあるダンススタジオで、サルサやレゲトンといったラテン音楽で踊るクラスを持っていました。ダンサー名は”RIE LOKITA”。 ソロでイベントに出演し、ラテンとストリートダンスを融合した独自のダンスを披露したり、京都人気サルサバンド“Son D'Asere”の専属ダンサーとして踊っていた時期もありました。また、海外 の人気サルサバンド“CALLE REAL”や“キューバの”Charanga Habaneraが来日した際、ツアーでオープニングアクトのパフォーマンスを果たしましたこともあります。

-サルサダンスを広めたいという思いを持っている理絵さんのもうひとつの夢は…。
米国・フロリダ州マイアミに本拠を置くNBAチーム「マイアミ・ヒート」のダンスチーム「マイアミヒートダンサー」になること。ハーフタイムでファンを楽しませるメンバーのパフォーマンスに魅せられ、毎年大勢のダンサーがオーディションを受けている。

-「マイアミヒートダンサー」を目指したきっかけは?
高校生の時、ある雑誌に載っていた「マイアミヒートダンサー」の記事を見て。彼女達の写真の輝く笑顔と鍛えられた身体、それにピッタリ合う赤いユニホームは今でも忘れません。記事の中の「ジムに行って身体を鍛えることも仕事なの」という彼女たちのコメントを読んだ瞬間、私は「彼女達のやっていることをしたい!」という思いでいっぱいに。マイアミという土地に興味を持ったのもマイアミヒートダンサーを知ったのがきっかけです。それからそれ以外の将来は考えられず、短大卒業後にマイアミへ留学しました。

-ダンサーを目指しての単身渡米。マイアミでの生活はどんなでしたか?
友達もいない、家族もいない、全てが未知で一からのスタートでした。はじめの1カ月はユースホステル(1泊15ドル)に住み、そこからダンススタジオにバスで約2時間かけて通いました。帰りにバスがなくなり、警察の方に送ってもらった事も。今となってはいい経験したなと思えますが、当時は泣きそうな思いでした。

-日本人がオーディションに合格するのは難しい?
毎年約500人の中から20人~25人しか選ばれず、マイアミヒートダンサーになること自体が難しい。その上今年マイアミヒートが2013年NBAのチャンピオンになったので、ダンスチームの方もさらに人気が高くなりたくさんのダンサーが狙いにきます。今までに日本人はいません。日本から挑戦しにいって受かった人はいません。

-オーディションの内容は?
 選考は第1から第3ラウンドまであり、初日は、丸1日かけて約500人を50~60人に絞ります。第3ラウンドまで残れた人の中から「ブートキャンプ」という約1週間のトレーニングに参加できる人を選びます。ブートキャンプ最終日に、キャンプ中に学んだパフォーマンスを披露し、その中から審査員が今年のマイアミヒートダンサーを選びます。長い道のりです。

-これまでにオーディションにチャレンジしたことは?
はい、最初にチャレンジしたオーディションは2009年。オーディション開始1時間前から個性的でオーラのある女の子がアリーナの前で列を作っていました。どんなオーデョションもそうですが、衣装・メークアップ・髪型、すべて完璧にして皆オーデョションに挑みます。今考えれば、当時の私の衣装やメークアップは、全然足りていなかったと思います。結果は第2ラウンドで落選。つらかったし、このオーデョションのためにマイアミへ来たのに、との思いで直後はどん底でした。

-1度目の挑戦で破れたその後は?
それからは落ち込む暇はないと切り替え、マイアミの短大へ通い、ダンススタジオへ通いつめ、いろいろなステージにも出ました。そこでダンス仲間ができ、現地のダンスチームに入り、ダンスを通して本物の友達がマイアミに出来ました。1年間マイアミで過ごし、大切な仲間と出会い、オーデョションには落ちたけど、それ以上に人との出会いは私の大きな財産となりました。

-最後に理絵さんの夢は?
ラテン人あふれるマイアミの土地でラテンを踊る日本人ダンサーとして活躍 します!!最近は、サルサ等のラテンにヒップホップをミックスしたフィットネス「ズンバ」が日本のジムで広まっていますが、それはそもそもマイアミから発祥したものなので、こちらの本場のズンバを日本に持ち帰って、みなさんに伝えたいです。私の身長は152センチと低いけれど、人一倍パワフルにパッションあふれた私のダンスを見た人に何か感じてほしい。そしていつかマイアミヒートダンサーとしてあのアメリカンエアラインアリーナでダンスを披露する夢を実現したいです。

自分の夢をかなえるため、一歩ずつ前に進んでいる理絵さん。現在は、アーティストビザを申請し、オーディションを受けながらマイアミのジムでトレーニングインストラクターとしてダンスも教えている。「自分の挑戦できる限り、アメリカの地でやってみたいと思う」と力強く語る。

  • はてなブックマークに追加

京橋経済新聞VOTE

あなたのお住まいはどちらですか?

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース